2017年9月30日 更新

北海道でしか獲れない「昆布」は、なぜ日本を代表するうま味になったのか?

築地の老舗昆布商「吹田商店」に聞く

北海道産の昆布が国内に広まったワケ

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世界中で「和食」が盛り上がる中、注目を集めているのが和食を下支える「ダシ」の存在。イノシン酸の鰹節、グルタミン酸の昆布は、和食ダシの代表格。前回「NPO法人うま味インフォメーションセンター」での取材で、「うま味」の発見した池田菊苗博士が、湯豆腐に入った「昆布」の味覚と海外での食生活の中で感じた「和食を感じる何か」が「うま味」発見の重要なきっかけになっていた。うま味の発見にとっても重要な役割を果たした今回は「昆布」のお話。

昆布は、宮城県以北の太平洋岸から北海道全域に分布し、とくに北海道が主産地である。言い換えれば、宮城県以南では獲れないものなのだ。

現在のように飛行機も鉄道も交通インフラが整っていなかった時代の日本で、どのようにして全国各地へと昆布が広まっていったのだろうか?

北海道生まれ、大阪育ちの昆布

昆布と日本人の歴史はとても古い。

「日本人が昆布を食し始めたという記録は、約800年くらい前。その頃はまだ宮中や貴族など一部の特権階級だけが知る貴重なものでしたが、江戸時代に入って、北前船の西廻り航路が開かれ、北海道から東北、そして大阪まで、大量に安く安全に物資輸送できるようになったことから、徐々に庶民へ広まるようになっていきます。この昆布を運んだ航路の総称は「こんぶロード」と呼ばれて、北海道〜本州のみならず、九州、琉球王国(沖縄県)を経て、輸出品として清(中国)にも渡っていたんです」
江戸から明治初期に活躍した北前船

江戸から明治初期に活躍した北前船

そう教えてくれるのは、明治25年創業の昆布商「吹田商店」の五代目・吹田勝良さん。
業界の広報担当として、近年は食育事業にも力を注ぐ勝良さん

業界の広報担当として、近年は食育事業にも力を注ぐ勝良さん

築地場外にある昆布専門店「吹田商店」

築地場外にある昆布専門店「吹田商店」

今回訪れた「吹田商店」は、大阪にあった昆布の一大集積地の靭(うつぼ)で創業。初代、二代目は明治維新後の近代昆布業界を牽引した組織「大阪昆布同業組合」で足かけ20年に渡り組合長をつとめた近代昆布史にその名を連ねるお店だ。この大阪の昆布商が昭和二年にここ築地に出店をした経緯も、近代「昆布ロード」のプチストーリーが隠されているのだ。

関東大震災の復興がきっかけ

うどんの出汁にも象徴される、東西のダシ文化の違いはよく知られているところ。吹田商店は、昆布がマイノリティだった東京という地に「支店」を開業したのだろうか?

「これは文献には残っていないことなのですが、関東大震災以降、帝都復興のために関西の政財界からたくさん人が東京に進出をした。それを機に料亭を始め関西の料理屋さんも東京に多く出店をはじめたんです。当時の東京には昆布を扱う店がなかったため、二代目が『これから東京でも関西料理が広まり、上質な昆布も必要になってくるに違いない』と、いうことで東京に支店を出したことが、築地のこの店の始まりだった、と祖父から聞いています」

江戸時代、北前船によって大阪を中心に花開いた昆布は、庶民の食卓へと広がり、関東大震災後、帝都復興を機に関西から関東に広がっていった。これが北海道産の昆布が全国の食卓へと広がった昆布伝播のもう一つの物語だ。
本店の半纏。所在地である「靭(うつぼ)」と冠してある。...

本店の半纏。所在地である「靭(うつぼ)」と冠してある。昆布商ではなく、「北海産物商」とうたっていた

昆布は和食の裏方、その原点とは?

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ビデリシャス編集部 ビデリシャス編集部