2015年9月24日 更新

江戸時代にも大食い&大酒飲み大会!!その名も『飲食闘會』

文化14年に両国柳橋萬屋八兵衛(萬八楼)で大酒会、大食会が催されました。そこでは酒に挑戦する人、ご飯に挑戦する人、お菓子に挑戦するひとなどが集まってきました。

萬八楼での飲食闘會

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『真佐喜のかづら』(成立年代不詳。幕末から明治にかけてと思われる)三によれば、この萬八楼の大食い大酒のみ大会に記述があります。当日は見物人もいてとても賑わっており、まず上戸と下戸にワケ、中央に行司である世話人が座ります。双方の飲食の人数を書き留めて、また紙に書いて張り出して始めた。最後には番付にして売ったとあります。

一体どのくらいの量を食べたり飲んだりしたのか、資料から紹介してみます。

まずはお酒の部です。
68歳男性は三升(一升=1.8L)入る杯で3杯。
38歳男性は同じく三升の杯で6杯。その場で倒れて暫く寝ていましたが、起きた後に茶碗で水を17杯飲んだそうです。
72歳の男性は五升の杯で1杯半飲んですぐに帰りましたが、湯島聖堂前で倒れ、翌朝7つ(朝8時ごろ)まで寝ていたそうです。
その他、五合(一合=180ml)杯で11杯飲んで地唄を歌ったのが57歳、三合杯で11杯飲み、後でご飯を3杯、茶を14杯飲んだ挙句、甚句を踊ったのが47歳、と年齢が結構上の人が多く居ます。
菓子では53歳男性が饅頭50個、羊羹七棹、薄皮餅30個を平らげ、茶を19杯飲みました。
65歳男性は饅頭30、鶯餅80、松風30枚、沢庵を丸のまま5本平らげたそうで、相当塩辛かったのではないでしょうか。

ご飯は茶碗1杯に萬年味噌(麦味噌)と漬物を添えたものだったそうですが、73歳男性は50杯と辛子を5把。49歳男性は40杯、50歳男性は68杯……。茶碗中盛りが150gと考えて、およそ10kgとは恐れ入ります。

鰻は金額での量になっています。
『守貞謾稿』の時代で、ちゃんとした鰻屋なら大きいものは1串、中くらいで2、3串、小さいものは4、5串乗って1皿200文、粗末な道端の屋台なら1串16文くらいです。
これに従って換算すると、一両三分食べた53歳男性は、約7千文ですから、1皿200文だと、約35皿。屋台の粗末な蒲焼の場合は、約400串以上食べたことになります。

蕎麦は中平皿に盛ったもので四43歳男性が57杯。45歳男性は49杯、38歳男性が36杯……とわんこそばも真っ青な量が続きます。

平然として一礼して帰った、などと言う人も居ますが、その場から動けなかったのではないか、歳の行った人などは本当に大丈夫だったのか、と余計な心配をしてしまう量です。

この記録は本当なのか?

Praphan Jampala/Shutterstock.com (11738)

via Praphan Jampala/Shutterstock.com
この記録は、滝澤馬琴を始めとした同好の士が珍しいこと、奇妙な出来事などを聞き書きしたものを持ち寄って発表をしたと言う兎園会の内容を纏めた『兎園小説』に見ることができます。
他にも、『視聴草(みききぐさ)』三集之六に「飲食闘會」と題して兎園小説とほぼ同じ記述が書いてあります。他にも『藤岡屋日記』、『文化秘筆』の文化14年の項に、量の違いなどがありますがほぼ同じ記述があります。いずれもそれを見に行ったりした人が書き留めた内容を借りて自分でも記録として書き写したものだ、と書いてあります。

ただし、文化秘筆には「後から聞いたらどうやら嘘だったようだ」と書かれていますので、これらの量や人がどこから来たのか判りませんが、どうも創作だったようです。
『真佐喜のかつら』では量は書いてありませんが「近年大食い大会を催すのが流行っているらしい」との記述がありますので、そのような大会が行われて居たのは間違いないようです。

量や人、年齢等が大げさなのは、少しでも人を楽しませようと言うサービス精神の表れだったのかも知れません。

他にも大酒飲み大会が過去から何度か開催されており、古くは延喜11年(911年)に行われていました。同じ江戸時代にも文化12年(1815年)に千住で行われた大酒のみ大会、天保二年頃の讃岐などの記録があるそうです。

(rauya)


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ビデリシャス編集部 ビデリシャス編集部