2015年8月10日 更新

月より団子??お月見は何回するもの?

 旧暦の8月15日、9月13日はいずれも十五夜、十三夜と満月に当たり、月見が行われました。

元々は月餅をかざる?中国から伝わった月見の風習

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 元々月見の習慣は中国から伝わったものです。漢(紀元前202年~紀元後220年)に始まり、元(1271年~1368年)、明(1368年~1644年)の頃には祭壇を作り、月餅や花、ウサギの絵などを飾っていたそうです。それが日本に伝わると、宮中でも早速観月の習慣になり、宴が催されるようになりました。

 8月15日を中秋の名月と呼び、月見団子の他はきぬかつぎ(皮のままゆでたサトイモ)を供えたので、芋名月と言う別名もあります。芋を供えたのは、8月15日前後が鋳物収穫時期にあたると言う説があります。現在の東京港区六本木の芋洗坂に青物屋があり、8月15日前には芋の市が立ったといい、「芋洗坂」の名は現在でも残っています。

 一方の9月13日には栗や豆を一緒に供えたので、栗名月、豆名月などと呼ばれました。

地方、各家庭で違ったお供えの仕方

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お月見と言えば月見団子が真っ先に思い浮かびます。白玉団子ですので白玉粉やもち米、うるち米などをつかった新粉でお団子をつくります。十五夜は15個、十三夜は13個の団子をお供えとして飾ります。閏月の時には16個にしたり、どの月見であっても、一年の月の数と言うことで、12個にしたりと個数には諸説あるようです。
 江戸では丸い団子ですが、京阪では里芋型に丸めたと言います。また、お供えの他に家族が食べる分の小さな団子を作ったそうですが、家族の多い家では個数が多いので朝からてんてこ舞いだったそうです。また、長屋の住人が集まって月見をしようなんて時には、大家さんからお月見の団子を貰うこともあったそうです。
 また、皆が食べるお団子は、十五夜では餡をつけ、十三夜は黄な粉を掛けて食べたそうです。

 『守貞謾稿』(嘉永六年、1853年)によれば、各地各家庭さまざまな風習はありますが、江戸では十五夜も十三夜も必ずススキを一緒に供えますが、京阪については飾らないと書いてあります。また京阪での団子の形状がサトイモ型なのは変わりませんが、十五夜には団子にきな粉をまぶし、醤油で煮た皮付きのサトイモを供えると、サトイモの記述は京阪についてだけ言及されています。さらに団子の数も12個、閏月のある年は13個にするとあります。
 十三夜も京坂では団子とともに塩茹での豆を供えますが、江戸では団子の他、皮付きのサトイモ、茹でた栗、生柿、枝豆など多くのお供えが上がっています。

 『本朝食鑑』(元禄10年、1697年)には十五夜にはサトイモ、茹でた枝豆を飾り、十三夜は皮の付いたままのサトイモ、栗を茹でたものを飾るとありますので、喜田川守貞の言う通り、各家庭、各地方で差があったのでしょう。

月見は1回?2回??いえいえ3回見るのが江戸ッ子

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江戸時代では吉原へ客を呼ぶ手管の一つとして、十五夜だけの月見を「片見月」と言って嫌い、十三夜の月見も訪ねてくれるよう二回月見をするのをもてはやす風習がありました。『守貞謾稿』にも江戸の場合、「片月見」をした人には良くないことが起こると言う俗信があり、十五夜に酒宴の招待を受けたら、十三夜にも必ず招待を受けなければならなくなるから、こういった日には家にとどまっておくのが良い、と書かれています。

旧暦では1年の日付の調整に閏年ならぬ閏月があり、年によっては8月や9月が2回あることもありました。その場合は、「後の十五夜」、または「後の十三夜」とも呼ばれたそうです。

また、お月見は今では十五夜、多くても十三夜の2回が一般的だと思いますが、江戸時代には7月26日の二十六夜待ちが行われていました。この二十六夜待は正月と7月の二回行われる「月待講(つきまちこう)」と呼ばれる信仰の一つでした。月待講とは特定の月齢の日にそれぞれ信仰対象となる仏を割り当て信仰する民間信仰です。月待講は月の出を待つ名目で食べたり飲んだりするため、手軽なレジャーでもありました。特に二十六夜は月が3つに分かれて輝き、その光の中に阿弥陀、観音、勢至の三尊が姿を現わし、この三尊を拝むと、幸運を得ることができるなどといい伝えられていました。26日ごろは真夜中近くになるため、寒い正月よりも7月の方が人気で、納涼も兼ねて大勢の人が出かけたと言います。特に人気だったのは、品川、高輪、深川洲崎辺りだったそうで、『守貞謾稿』にも「晩景より、高輪および深川洲先(すざき)等に諸人群集して、二十六夜の月の出を拝する」と記述があります。
 天保五年(1834年)から刊行された『江戸名所図会』巻一に、【高輪海辺七月二十六夜待】の絵が載っており、大勢の人が訪れたのが判ります。

現在では、旧暦の8月の十五夜はおおむね9月の満月、9月の十三夜は現在の10月の月齢13日にあたります。2015年の二十三夜は8月の初めとのこと。今年は二十三夜待ちからお月見をしてみるのは如何でしょうか?

(rauya)


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ビデリシャス編集部 ビデリシャス編集部