2015年6月16日 更新

元は接待の場として使われ、後に文人の集うサロンになった料理茶屋

『お団子ちょう~だい!』な、お茶屋かと思いきや高級料亭のはじまりとなる料理茶屋。そのハジマリとは・・・。

photo AC (5919)

料理茶屋と言えば有名なのは、八百善の名前を聞かれたことがあるかと思います。こうした高級料亭ができ、おおいにもてはやされたのは十八世紀に入ってからのことです。

初期の江戸では江戸の町を建設するために周辺から通う人も多く、まだ整っていなかったため町中で食事をするなど思いも及ばないことでした。明暦三年(1657年)の『明暦の大火』以降、よしずを掛けただけの簡単な設備で食べ物を売る店が出来始めました。また浅草寺の茶屋で奈良茶飯を食べさせる店が出来始め、これが後の一膳飯屋、料理茶屋のはしりと思われます。『嬉遊笑覧』(文政十三年、1830年)には、それでも約八十年近く経った享保半ば(1730年頃)まで外でふと思いついて食事の出来る店はなかった、と書いています。想像するに、その頃の料理茶屋は数が少なかったこともあったと思われますが、料理をあらかじめ前もって頼んで置き、約束の日に食べに行くと言う方式であったのではないかと思われます。それが、享保の中頃に、ふらりと入っても料理を出す店が出来て大いに流行り、それ以降さまざまの料理を出す店が出来たそうです。

その中でも特徴的な店が、洲崎の升屋です。升屋は明和から天明(1764年~1789年)頃にかけて権勢を誇った有名な料理茶屋です。主人の升屋宗吉は、凝ったつくりの座敷をこしらえ、数寄屋(茶室)を2、3箇所も庭に作り、蹴鞠が出来るように鞠場まで作り、大広間には『望陀覧』と書かれた扁額を掛けていた、という当時では相当に贅沢な店構えだったようです。それが大名や上級武士、大商人などに受けて大いに繁盛していたそうです。

江戸留守居役の接待の場。そして文人たちのサロンへ

足成 (5922)

こうした高級料亭は、上級武士、特に各藩の江戸留守居役と呼ばれる要人の集まりに使われました。徳川幕府の元、大名たちは一年おきに国許、江戸に滞在しなければなりませんでした。藩主が国許に帰っている時期、代わって幕府や他藩との連絡や交渉を行ったのが「江戸留守居役」です。元は必要に応じて他藩の留守居役を屋敷に呼んで接待していましたが、こうした料理茶屋が出来るともっぱら料理茶屋で行うようになり、後年には藩の財政を圧迫するほどの費用を費やす豪勢な宴会にまでエスカレートしたとも言われています。

これら料理茶屋は文人が書画会を開いたことでも有名です。寺門静軒の書いた『江戸繁昌記』(天保三~七年、1820~1824年)では、柳橋の万八(楼)、河半で行われたと書かれています。書画会は文人たちが集まって書画を揮毫したりし、その後で酒宴を催す会のことで、酒宴の所では料理茶屋の自慢の料理と芸者などを呼んだようです。

予約から、即席料理へ

photo AC (5925)

升屋などの料理茶屋が出来る以前にも料理を提供する店はあったのでは?と思われますが、前もって料理を予約注文し、約束の日に自宅へ来て料理を出してもらうか、または店へ行って料理を食べるのが普通だったのではないでしょうか。
『江戸買物独案内』(文政七年、1824年)には、貸座敷、お料理と書いてある店にも、仕出しを受け付ける旨を書いている店もあります。
また、『江戸名物酒飯手引草』(嘉永元年、1848年)でも、料理茶屋の部分には貸座敷、御料理。そして、会席(懐石)、即席と書いてあります。
おそらく座敷だけの貸し出し、およびその後の膳の提供だけでなく、この時期には料理だけの提供や予約なく店に行って料理をそこで食べることが出来たのではないでしょうか。
『守貞謾稿』(嘉永六年、1853年)によれば、江戸の料理茶屋では会席風と言って人数に応じてほんのわずか残るほどの量を盛りつけて提供したと言います。最初にみそ吸物、次に口取(吸物と一緒に出す、盛り合わせ)、二つ物、刺身、吸物か茶碗物を出して酒肴とし、最後に一汁一菜か二菜の飯で終わり、最初と最後には茶菓子を添えた茶を出したと言います。要望があれば料理茶屋で特別に作った風呂にも入れ、余った料理は笹折に詰めて持ち帰るように用意し、夜ともなれば提灯を持たせて送り出すと言う持て成しぶりで、それら全てが料金の内に含まれていたそうです。

現在でも料亭など何かの機会でもなければ行くことはないですが、江戸時代に確立した外食文化が現在にも引き継がれているのはなかなか感慨深いと思います。
なお有名な八百善ですが、江戸時代から明治時代にかけて多く刊行された料亭番付では、ほぼ勧進元(かんじんもと)の位置書かれているか、ランキングに入っていても大関にいるか、という料理茶屋としてはほぼ別格の扱いを受けるほどでした。

(rauya)

Thumbnail by photo AC
http://www.photo-ac.com/
9 件

関連する記事 こんな記事も人気です♪

料亭の味!紅葉おろしといただく"無花果の揚げ出し"

【動画】今が旬の無花果を使った一品。果物なので生で食べることが多い無花果ですが、実は揚げたり焼いたり煮込んでも美味しいんです♪熱々の出汁をカリッと揚げた無花果にたっぷりとかけた、無花果の揚げ出し。衣を剥がれにくくするために、薄力粉をあらかじめまぶしておくのがポイントです!

江戸時代にも大食い&大酒飲み大会!!その名も『飲食闘會』

文化14年に両国柳橋萬屋八兵衛(萬八楼)で大酒会、大食会が催されました。そこでは酒に挑戦する人、ご飯に挑戦する人、お菓子に挑戦するひとなどが集まってきました。

風呂吹き大根の“風呂吹き”って、どういう意味?

大根は四季を通して使われる食材です。古くは「おおね」、「スズシロ」と呼ばれていました。大根のように白くて太い足を大根足、などと言ったりしますが、かつては「白い」というのは褒め言葉だったそうです。 『本朝食鑑』(元禄十年、1697年)には日用利益の菜とあり、効能としても毒を消し、鼻血を止め、痰を去るなど多くの書いてある万能野菜とみられていたようです。 そんな大根が秋のおかずとして載っている、揉み大根と風呂吹き大根を紹介します。

江戸で使われていた塩は千葉県産の行徳塩

「行徳(ぎょうとく)」とは塩の事を指す隠語で、茶屋や楽屋等で使われた言葉だそうです。塩といえば全ての味の基本となる調味料です。ちょうど良く加減する事を塩梅といったのも、かつては塩と梅の酢で味をつけていたからだと言われています。

甘味噌は甘い? 江戸っ子が好んだ麹をたっぷり甘味噌

江戸では塩辛い味噌も使われていましたが、米麹をたくさん使った甘味噌が作られるようになると、一時期は江戸の味噌需要高の60%を占めるほど普及しました。この甘味噌とはどんなものなのでしょう。

キーワード

ライター

ビデリシャス編集部 ビデリシャス編集部