2015年8月5日 更新

中国から伝わってきたお饅頭。お菓子ではなく食事だった?

 饅頭と言えば、饅頭が怖いと言ってまんまとお腹いっぱいにお饅頭を食べる落語が有名ですね。酒饅頭、温泉饅頭、薄皮饅頭などなど、多くの種類があって、今ではすっかりおなじみの和菓子の一つです。

最初は汁を掛けて食べていた?

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 饅頭は点心の一つとして中国から渡ってきました。元々は小麦粉で作った皮の中に肉の餡を包んでいましたが、日本では僧たちが肉食をしなかったため、代わりに小豆を使った饅頭になったと言われています。最初は小豆に塩を加えたものだったそうですが、後に砂糖を使って甘くした饅頭に取って代わられました。

 中国での饅頭の起こりは、諸葛孔明が南征中に河川が荒れて渡れず、土地の人にこれを鎮めるにはどうしたらいいかと問うたところ、人を供えなければならないと言われたそうです。ですが、人を殺すのを良しとしなかった孔明は羊や豚肉を細かく切って麺に包み、その上に人の頭の絵を描いて供えたところ無事おさまったと言う説があります。
 饅頭の作り方としては、酒種を使うものと、膨らし粉を使うものと二種類の製法が伝わったと言われます。
 酒種を使う酒饅頭は、円爾弁円(えんにべんねん、聖一国師)が仁治二年(1241年)に宋より持ち帰り、托鉢でいつも世話になっていた博多の茶店の主人、栗波吉右衛門に伝えたと言われています。その際に「御饅頭所」と描いた看板が、現在の虎屋に伝わっているそうです。
 膨らし粉を使う製法は、暦応四年(1341年)に日本へ来た禅僧、林浄因が奈良で作り始めたと言われています。膨らし粉を使う饅頭は「薬饅頭」と呼ばれていました。その後林浄因は帰化し、家系の者が塩瀬姓を名乗ったことから塩瀬饅頭としても知られるようになったそうです。
上記の酒饅頭と薬饅頭は砂糖饅頭と呼ばれていたものから発展したものだと考えられますが、他に日本では野菜を餡とした菜饅頭と呼ばれた饅頭が食べられていたようです。この記述は古く、曹洞宗の開祖道元による記述によれば仁治二年(1241年)で軽食(点心)として饅頭の名前を見ることが出来ます。そもそも点心としての饅頭はたれ味噌や汁とともに食べるものだったそうですので、この時の饅頭もそう言ったものだったのではないでしょうか。
 『料理切形秘伝抄』(万治二年、1659年)の内「料法躾抄」のなかで「まんぢうをくう事」という一節があり、その中に「始めよりしるをはすはさる物」と言う記述がありますので、この頃までは菜饅頭は汁をかけて食べるのが当たり前だったのかも知れません。
 また、『守貞謾稿』(嘉永六年、1853年)によれば、山椒、シナモン、胡椒の粉を汁に加え饅頭にかけて食べた、粉切物(こきりもの)と呼ばれる食べ方もあったと書かれています。

 菜饅頭は砂糖饅頭と区別されながらも一緒に作られていたようで、室町時代に成立したと言われる『七十一番職人尽歌合』の調菜(饅頭売り)に「さとうまんちう さいまんちう いつれもよくむして候」との文句とともに売られているのを見ることが出来ます。その後いつからか菜饅頭が廃れ、砂糖饅頭が主流になっていったと思われます。

甘い小豆餡の饅頭が主流に!初めての商品券が登場

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江戸時代の料理本にも饅頭の作り方が載っています。
 『古今名物御前菓子秘伝抄』(享保三年、1718年)、『餅菓子手製集』(文化十年、1813年)という菓子専門の料理本はいずれも小麦粉に甘酒を酒種として使った饅頭の作り方を載せています。
 『都鄙安逸傳』(天保四年、1833年)には「田植饅頭」の作り方が載っており、こちらも小麦粉か安価な温飩粉で作るとあります。こちらは生地を膨らませる材料が載っていませんが、捏ねた生地に小豆餡を包んで蒸す作り方です。
 興味深いのは、饅頭について記載が多いのが「卓袱料理」の料理本だと言うことです。
 『卓子式』(天明四年、1784年)の記述では、清で行われている卓袱料理と題した献立で紹介されている饅頭には肉が使われていますが、長崎で行われる卓袱料理では春と秋の点心としてそれぞれ甘くした胡麻餡、賽の目に切った鳥肉を砂糖で煮たものをあげています。夏は葛粉で胡麻と砂糖蜜の餡を包んだ葛粉饅頭、冬は饅頭を油で揚げて砂糖蜜をかけたマントウスが載っており、既にこの頃には葛饅頭に近いものが作られていたことが判ります。
 『料理簡便集』(文化三年、1806年)での卓袱料理の献立には、春には油で揚げて砂糖蜜をかけたおぼろまんじゅう、夏には葛饅頭が書かれています。
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『守貞謾稿』によれば、甘い小豆餡を入れた饅頭は、大坂では菓子屋と饅頭屋は別々の店で売られており、大阪虎屋だけが菓子と饅頭の両方を商ったとあります。逆に江戸では、菓子屋が饅頭を作って売りました。大坂では二銭、三銭程度でしたが、江戸では四文だったそうです。
 また、京阪では饅頭を竹皮に包みますが、江戸は紙袋に入れました。贈答用には京阪でも折詰にした店は少なかったそうですが、江戸ではほとんど折詰に入れたそうです。

 大坂の虎屋が江戸時代中期に「饅頭切手」なるものを出しました。今の商品券のようなもので、一枚で十個の饅頭が買えたそうです。それが江戸にも伝わり「菓子切手」となりました。江戸の場合は全て刷ってあり、数だけを後から手書きたしたと言います。

(rauya)

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ビデリシャス編集部 ビデリシャス編集部