「不二家」は明治時代後期に、日本ではまだなじみの少なかった洋菓子を売る店として誕生した。インテリアはアメリカから直輸入し、持ち手を下に押さえるとソーダ水が出てくる「ソーダ・ファウンテン」や日本初となるショートケーキなど、西洋のハイカラを次々と打ち出した。
昭和初期には店舗にイート・インの概念を取り入れ、喫茶、軽食レストランをはじめていた(前回の記事 http://www.videlicio.us/STYLE/xGKKw )。昭和12年の伊勢佐木町店(現・横浜センター店)のメニューを見るとコーヒーが15銭、パフェーが40銭だった。当初の不二家は、庶民が気軽に訪れることのできる現代のイメージよりも、もう少しアッパークラス寄りの展開をしていたのだ。
昭和初期には店舗にイート・インの概念を取り入れ、喫茶、軽食レストランをはじめていた(前回の記事 http://www.videlicio.us/STYLE/xGKKw )。昭和12年の伊勢佐木町店(現・横浜センター店)のメニューを見るとコーヒーが15銭、パフェーが40銭だった。当初の不二家は、庶民が気軽に訪れることのできる現代のイメージよりも、もう少しアッパークラス寄りの展開をしていたのだ。
「現在の不二家にシフトしていくのは高度経済成長期。一般家庭でもお父さんがお土産にケーキを買って帰るといった需要も増え、テイクアウトの洋菓子としての店舗を増やしていきました。いち早くフランチャイズシステムを導入したわけです。1963年(昭和38)にフランチャイズ1号店、伏見店(京都)が誕生します。日本では「フランチャイズ」という言葉がほとんど知られていない時代ですね」(「不二家」広報室・上田博子さん、以下同)
その5年後には全国のフランチャイズ店舗数は100店舗を超え、2017年6月現在、757店舗まで増えた。ちなみに、「不二家」の直営店舗は170である。
おなじみの「ペコちゃん」は1950年に誕生
キャラクター「ペコちゃん」は、1950年(昭和25)に誕生した。「不二家」の目印とも言えるペコちゃん人形も同時に店頭に置かれるようになる。
「ちなみに、昭和30年代前後まではスタッフが一体ずつ紙の張子で作っていました。ただ、店舗が増えるにつれて間に合わなくなり、やがてビニールに、さらに現在のプラスチック製のものになります。ペコちゃんの素材、そして表情も時代ごとに変化しているんです」
上田さんによれば「ペコちゃん」が誕生したきっかけは1951年に発売された「ミルキー」。そのパッケージ用にお母さんや子どもに親しまれやすいキャラクターとして温められていたが、その前年の1950年に店頭人形が作られたのが先になってしまった。当初は複数のイラストレーターが描いていたため絵柄は一定ではなかったという。
なお、「不二家」が作ったキャラクターの元祖は1934年(昭和9)に発売された「フランスキャラメル」のパッケージに使われた西洋人の少女である。
なお、「不二家」が作ったキャラクターの元祖は1934年(昭和9)に発売された「フランスキャラメル」のパッケージに使われた西洋人の少女である。
「ペコちゃん」という名前は各地で子牛の愛称として使われていた「べこ」から、「ポコちゃん」は東北地方の方言で子どもを意味する「ぼこ」から取られたという。
著名な建築家のデザインによるロードサイドレストラン
さらに、1978年(昭和53)には株式会社不二家ロードサイドレストランを設立(現・株式会社不二家フードサービス)。同年、埼玉県川口市に郊外型レストラン第1号となる川口青木店がオープンした。
「モータリゼーションの到来など時代の変化を感じ取り、郊外型ファミレス事業を始めました。フランチャイズ店舗と同様、購入した洋菓子を店内で食べられるうえに、メニューには伝統の洋食、パフェやホットケーキなどが並ぶ不二家らしいファミレスを実現しました」
「モータリゼーションの到来など時代の変化を感じ取り、郊外型ファミレス事業を始めました。フランチャイズ店舗と同様、購入した洋菓子を店内で食べられるうえに、メニューには伝統の洋食、パフェやホットケーキなどが並ぶ不二家らしいファミレスを実現しました」